カミナリ神社

statement

久しぶりの雷神社は紅葉した銀杏の大木が出迎えてくれた。太陽の光を浴びて銀杏の葉はキラキラ輝いていた。そのせいか以前来た時よりも空間が広がったように感じた。

長い階段を登り切るとすぐ横にお稲荷さんがいる。ちょうど日が当たっている。お稲荷さんは日を浴びて前よりも安閑としているように見える。ここは長閑な時間が流れているようだ。

石囲いの側に近寄るとすぐ下に銀杏の大木が見える。その周りを黄色い落ち葉が埋め尽くしていた。ひとりの女性が大木の側にしゃがみ込んで銀杏の葉を拾っている。何のために拾っているんだろうと不思議に思ったが、それ以上は気にしなかった。

日陰から見ると、日向になっているお稲荷さんがカミナリ神社の穏やかな日常を現していた。私はそれを少し離れた所から肌で感じる事ができた。それは紅葉した木々、落ち葉そして明るい光によってつくられた空間に自分がいて、気持ちが温かくなるのを感じたからかもしれない。

freesia

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懐かしい写真を見つけ出し、庭に咲いていたフリージアを写真の上に置いてみた

澄んだ空に溶け込むかのように存在する教会の壁

その神秘さを纏いながら置かれたフリージア

茎は青くて美しい

永遠にそこで咲いているかのようだ

過去に出会った教会と春が来たことを教えてくれるフリージアは、一つの美しい画を魅せてくれていた

フィルター

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暗闇の中

フィルターを通して見ると、自分の記憶にはない光が視界の先に現れた

日常には沢山の情報が溢れている

情報から何を想像できるか

時間と場面

これらに色があるだけで自分の過去と結びつけて想像しやすい

しかし白、黒、形だけになると、一瞬戸惑う

なぜなら身近なものと結びつけられないから

自分とは遠い縁のない場所だと思わせる

逆にそれが新鮮に感じることもある

フィルターを変えて情報が変われば、他者の想像は変えられる

例えば暗闇が昼間のような明るさに変われば、自分の記憶にない光は消え失せていて、

見える色からまた別のことを想像するだろう

また白、黒、形だけの世界に色が入れば、過去のあらゆる出来事に結びつけることができる

フィルターを変えればあらゆる想像ができる

椅子

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たどり着いた場所は広い空き地だった。腰丈まである冬枯れの草をかき分けて入っていくと、色の剥げた椅子が誰かを待っているように存在していた。

風が吹いている。見渡しても誰もいない。

枯れ草だけが自己主張している空間に、気を引く様子もない椅子はかえって目立つ存在だった。何故だか分からないがそれに近づこうとは思わなかった。

どこまで見渡しても色褪せた景色が広がり、枯れ草は風に靡いている。その中で椅子は何かを懐かしむようにその時間を味わっていた。